新・生まれと育ち

何かある病気を発症すると、患者様御本人やご家族から、「これは生まれつきなのか、環境のせいなのか!?」と聞かれることがしばしばあります。特殊な遺伝性疾患でもない限り、「両方が影響しています」「両方が相互作用して、今の病状になっています」とお答えすることがほとんどです。下の図を見てください。発達特性というのは生まれた時から持っていて、徐々に顕在化していく性質と考えられます。代表的な特性としてはASD (自閉症スペクトラム障害=以前アスペルガー障害と言われた特性も含みます)、ADHD(注意欠陥多動性障害)などの特性があり、「健常者」と言われる人の中にも多少はその特性があることがあります。多くの場合、マイナス面ばかりが強調されることが多いですが(ASDですと、コミュニケーション下手、融通がきかない、など。ADHDですと注意散漫、落ち着きがない、など)、よく考えるとプラスの面も多いことが分かります。ASDの場合は、こだわりの強さが逆に、人がやりたがらないに根気強く取り組んで、大きな業績を成し遂げる力になりますし、ADHDの場合は、目まぐるしく移り変わる関心が自由な発想力の源泉になったりします。周りからのサポート+本人の努力次第では、発達特性のプラス面が開花することもあり得るわけです。また、統合失調症、感情障害といった病気は単純な遺伝性疾患ではありませんが、家族で多発しているケースなど、「統合失調症になりやすさ」「双極性障害になりやすさ」という体質があることは否定できません。しかし、明らかな障害として顕在化しないレベルにとどまれば、「統合失調症」的な特性は「マイペースで穏やかな人」として現れますし、「双極性障害」的な特性をもった人が波に乗ると起業家として成功することもあり得ます。要は、もともとどういう特性を持っていたとしても、環境や運、本人の努力によって、プラスに作用することもあるということです。
 逆にマイナス面を考えてみましょう。ASD、ADHD的な特性があるとすると、親からは「育てにくい子」とみなされ、親自身がサポートに恵まれていなくて余裕がない場合は、つらく当たってしまうこともあります。特にASD的特性のある人はもともと過敏ですので、普通ならトラウマにならない程度の叱り方でも本人的には大きな傷になり、愛着の問題が発生することもあります。また、発達特性の偏りのある人がが学校に行くと、「普通と違う」ところが目立ち、イジメのターゲットになることもしばしばです。こうした家庭・学校での負の体験がトラウマとして蓄積すると、PTSDとして発症することもあり得ます(病像としては、統合失調症やうつ病に近い形になることもあります)。ですので、こうした発達特性のマイナス面をプラスに転化させるには、周囲からのサポートが重要になってきます。
 もう1つ、最近関心を持っていることがあります。「遺伝子」というものが以前ほど絶対視されず、同じ遺伝子を持っていても、それが発現されるか、されないかは、環境からの作用によって変わってくるという話です(専門的にはエピジェネティクスと言われる領域です)。読まれた方もあるかもしれませんが、その極端な例で、一卵性双生児で片方が宇宙飛行士で宇宙に長期間滞在、片方が地上に滞在していた2人の遺伝子を調べてみると、遺伝子の発現の仕方が大きく変わっていたそうです。それとは全然違う研究ですが、最近アメリカの精神医学専門誌に発表されたカナダの研究によると、幼少期に虐待を受けてうつになった人と、被虐待経験がなくてうつになった人で、遺伝子の発現を調べてみると、大きく異なっていて、普通なら育つはずの神経が育っていない(正確に言うと、神経をつつむミエリンという鞘が正常に育っていない)という結論が示されていました。ボストンのトラウマセンターの所長でマサチューセッツ大の精神科教授であるヴァン・デア・コーク博士は、本来発達障害でなくても、トラウマを受けることで発達障害のように育ってしまう「発達トラウマ障害」という概念を提唱していますが、こうした研究はまさにトラウマという外部因子が、本来「生まれ」で決まっているはずの遺伝子の発現にまで影響することを示しています。救いなのは(別の研究になりますが)、虐待を受けた子供であって、里親などのよいサポートに恵まれると、脳がふつうに発達するらしいという結果も示されていることです。これは外部からのサポートや、(もしかすると)トラウマ治療によって、遺伝子の発現すら、プラスの方向に逆転する可能性があるということです。
 結論としては、「生まれ」と「育ち」はもはや対立する概念とは言えず、深く絡み合って、病気の症状として現れることもあれば、逆に自己回復に向かう流れを作ることもあり得るということです。